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『極私的ドキュメント にっぽんリアル「逃げずに生きたい」』 「忘れた」ケンカのやりとり

EM TV

『極私的ドキュメント にっぽんリアル「逃げずに生きたい」』を観た。いつも問題から逃げていると思っている30歳のディレクターが、その逃げ癖がついた原因の小学校6年生のときのトラウマを振り返るという話。トラウマは、みんながいる教室での親友とのケンカから逃げたというものだった。ディレクターは、そのトラウマを解消するために、小学校の友人に次々と会っていく。しかし、会う友人はそのことを「忘れた」、「覚えていない」という。覚えているのは、ディレクターとそのケンカした親友だけだった。

面白いところは、「忘れた」、「覚えていない」という友人とディレクターのやりとりである。

ディレクターは、「忘れた」という友人に小学校の卒業文集や卒業写真を見せ、思いだしてと迫る。この追求には、卒業文集や卒業写真が記憶の想起と密接に繋がっており、「卒業文集や卒業写真を見せれば当時の記憶を思い出すはず」という推論が働いていると考えられる。さらに、その必死なディレクターのふるまいからは、「この小学校のときの親友とのケンカはみんな見ていたはずで、絶対に覚えているはず」であるという規範的な期待があることがわかる。

また、この親友とケンカして逃げたという記憶は、ディレクターが自ら体験した経験であり、教室で見ていた友人たちよりも語る資格を持っている。それゆえ、友人たちがそのディレクターの記憶を評価(正しい、間違っている)したり、修復したりすることは困難である。

そこで友人たちが用いるのが「忘れた」、「覚えていない」という用法である。この「忘れた」、「覚えていない」という発言は、そもそもその事実があったかどうかを含意しないかたちで追求を回避することが可能である。つまり、友人たちは、ディレクターが述べるケンカから逃げ出したという事実が「あった」「なかった」という答えを、「忘れた」、「覚えていない」と発言することで、回避しているのである。

まぁしかし、このディレクターもしつこく、「忘れた」とその出来事についての回答を回避している友人に自分の逃げ出した過去の出来事リストを見せ、どうしても「思い出せ」と迫っている。

ときどき思うけど、「記憶」ってめんどくさいよね。「〇〇(誕生日や結婚記念日とか)を思い出せない」というだけどその人の誠実さが疑われたりするし。でも、私たちがどのようにして「思いだした」、「忘れた」、「覚えている」といっているのかって気になるよね。

 

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