読書ノートのまとめとして、ブログを利用してみようと思う。
社会的相互行為
あらゆる社会的相互行為には、構造化されたものとしての性格をもつということ、意味は文脈によって理解可能になるということという二つの共通の特徴がある。6
構造化とは?
ここでいう社会的相互行為には、ある人が他の人に向かって、もしくは他の人に対してある行為を生み出すような状況、あるいは相手の反応を引き出したり可能にしたりするような状況のすべてが含まれる。そうした行為はすべて、人物Aによって生み出された行為が、その行為への反応として人物Bができることを「条件づける」性格をそなえているという意味で、「構造化」されている。7-8
例として「自己紹介のやりとり」があげられている。AがBに自己紹介を したら、Bは自己紹介をすることが期待されている。
意味は文脈によって理解可能?
そうした相互理解について適切な説明をしようとするなら、相互行為において意味が理解されるにあたって「文脈」が果たす役割を認識しなければならないと私たちは考えている。どんな語句も文も、その使用の文脈の外に取り出せば、理解しがたいものや曖昧なもになるだろう。しかし、その文脈のなかでは、それが何を意味するかはきわめてはっきりしている。したがって、もっとも平明ではっきりした意味でさえ、やろうと思えば、不確定な、問題をはらむものに変えることができる。意味を問題化するには、それを明白なものにしている文脈的な詳細を取り払えばよいのである。10−11
文脈を取り外して、意味を問うても、その意味を理解することはできない。なぜなら、意味はその文脈と結びついているからだ。
言語
相互行為はきわめて多くの場合言語を使っておこなわれている。私たちがするたいていの行為は、言語によって、そして言語を通じて実行される。……言語は社会生活のなかでおこわれるあらゆることの基盤になる。14
言語学との違い?
実際の使用場面での言語
言語は、理論的に定義された問題や課題と関連づけて理解される単なる要因や変数ではなく、何よりもまず、それを使って社会生活のあらゆる場面が実際におこなわれるような手段なのである。「実際におこなわれる」というのが、ここでのキーワードだ。社会のメンバーは、言語を使って社会的活動をおこない、そうした活動を通じて自分たちの生活を協働で作り上げる。23
言語の使用によって、社会的活動がおこなわれ、その社会生活の場面が達成される。
日常の話しことばでは、圧倒的に多くの場合、あらかじめ決まった言語表現が使われることはない。それどころか、人びとは、自分たちがそのなかにいる状況(そこには他の人のトークも含まれる)に「適合した」トークを自発的に作り出す。状況にトークを適合させるその作業は、何らかのあらかじめ決まったやり方に沿って成り立つのではなく、そのトークに使われることばが、「いまここ」で起こっていることについての特定の理解を表示するからこそ成り立つのである。24
人びとは、その状況に適切なトークをする。それは、その状況の理解を提示しながらおこなわれる。
社会
これまでも、今でも社会学者は、自分たちが作った理論的概念を使うことによって、一般の人たちには「隠された」社会的側面を明らかにできると考えている。しかし、エスノメソドロジーは、そのようには考えない。
ふつうの人たちはおそらく社会生活についての理論をもっていないし、それを作り出す活動にたずさわりもしないが、それは、自分たちの活動を実行するにあたってかれらはそんな理論を必要としないからである。
ふつうの人たちはおそらく社会生活についての理論をもっていないし、それを作り出す活動にたずさわりもしないが、それは、自分たちの活動を実行するにあたってかれらはそんな理論を必要としないからである。29
したがって、「何が社会生活を説明するのか」という問いを立てて、ある社会理論の立場からそれに答えるのではなく、「社会生活を理解するにあたって、そして自分たちの活動を実行するにあたって、人びとはどのようにして適切な知識をもち、そしてその知識はどのようにして使用されるのか」という問いを立てることを、私たちは提案する。そうした知識を一般的な、文脈から切り離した形で記述するのではなく、特定の事例において、そうした知識がどのように使われているかに焦点を合わせる。31−32(傍線:筆者)
第1章は、意味と文脈の関係が特に強調されていた。これは、わかる気がする。本書のなかでも何度もでてきたが、意味と文脈の結びつきは、切り離されて分析されやすい。なぜ? わからないが、社会学者は「状況に埋め込まれた行為」に関心がないからか。研究者は、理論や方法論があると、それを使いたくてしかたなのかもしれない。ある種の病に近い。しかし、社会学は、理論や方法論を作ったり、もちいたりしたその時点で、人びとの実践(方法論)から離れていってしまう。したがって、実践と離れた理論や方法論を作らず、もちいず、意味と文脈が結びついているその場面に寄生し、どのように人びとがその意味を理解可能にしているのかを問うことが肝心なのだ。
- 作者: デイヴィッド・フランシス,スティーヴン・へスター,中河伸俊,岡田光弘,小宮友根,是永論
- 出版社/メーカー: ナカニシヤ出版
- 発売日: 2014/04
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (1件) を見る
前田泰樹さんの「『社会学的記述』 再考」も参考に。