「女子力」を教示する技法ー気持ちを切り替えるための「美しくなる努力」 分析・まとめ

3.「女子力」を教示する技法

 

3-1.データ

 下記が、近藤が例として引用していた記事の一文の前後の文章である。これは、「今、必要な『女子力』はコレだ!」という記事の抜粋である。 この記事では、「今、必要な『女子力』(気配り力、切り替え力、盛り上げ力など)」が、人材、キャリアの専門家によって紹介されている。

 

 さらに必要なのは“切り替え力”。「女性は気になったことを心のうちでもんもんと自身に問いかける。“自己対話力”が強い」と話すのは、心理カウンセラーの前田京子さん。「仕事を楽しみ、結果を出すためには、自分の気持ちや思考を整理する方法を身に付けたいものです」“気持ちの切り替え”という意味では、メイクやファッションに気を配ることも重要。読者アンケートではONタイムのノーメイクを「OK」と判断する人が約15%も…。この結果を「ありえません!」と一喝するのが、社員9割以上を女性が占める広告会社で営業部長を務めた飯野晴子さんだ。「女子にとって仕事モードへのまたとないリセット法がお化粧。ノーメイクの人はメリハリなくダラッと働いているのでは?」。「メイクや服装に“きっちり感”がないと、仕事もいい加減なのかもと思われかねません」(柏木さん)(日経WOMAN 2009:p.10)

 

 

 このデータを読んでわかることは、化粧やファッションなどの「美しくなる努力」が、女性の仕事のモチベーションを高める方法として有効であり、それが「女子力」であるということである。

 つまり、このデータでは、「女子力」が、マナーや身だしなみ、商売道具の「美しくなる努力」を意味するのではく、仕事のモチベーションを高めるための「美しくなる努力」を意味するものとして理解できるのである(近藤 2014:pp.31-2)。

 しかし、「はじめに」でも述べたが、「女子力」の意味は多義的であり、「美しくなる努力」と「女子力」の結びつきは自明ではなく、端的に理解することはできない。では、なぜこのような理解が可能になっているのか。この問いに答えるために、データを詳しくみていきたい。

 

 

3-1.専門的な知識の導入

 データ1-1*1

さらに必要なのは“切り替え力”。「女性は気になったことを心のうちでもんもんと自身に問いかける。“自己対話力”が強い」と話すのは、心理カウンセラーの前田京子さん。「仕事を楽しみ、結果を出すためには、自分の気持ちや思考を整理する方法を身に付けたいものです」“気持ちの切り替え”という意味では、メイクやファッションに気を配ることも重要。

 

データ1-1のでは、心理カウンセラーの前田による「女性は自己対話力が強い」という指摘がなされている。この前田による指摘は、テクストを読むという相互行為のうえでどのような効果があるのだろうか。西阪仰は、次のように述べている。

 

  どのようなものであれ、社会の成員を特徴づけるためのカテゴリ

  ーには、かならずある種の期待が結びつきうる。「東京の人はX

  だ」という類のものである。このような(「μはXである」式の)

  期待は、しかるべきしかたで導入されるなら、ひじょうに強力な

  ものとして当該相互行為のうえを流通する。そのとき、μが当ては

  まる個別の事例aは、この範式にしたがって経験されることにな

  る。(西阪 1997:p.111)。

 

 この西阪の知見から、「切り替え力」という「女子力」の説明のおいて、「女性」というカテゴリーに対して、「女性は自己対話力が強い」という範式が導入されていることがわかる。この範式を導入するさいに、「心理カウンセラー」として前田を紹介し、前田を心理の「専門家」として提示している。

 この専門家として提示することは、読み手を「素人」としてカテゴリー化することにつながると考えられる。このようなカテゴリー化によって、専門家であれば持っているであろう知識や経験、素人に対して持っている権利や負うべき義務が、前田に期待されることになる(小宮 2007:p.118)。

 実際、「仕事を楽しみ、結果を出すためには、自分の気持ちや思考を整理する方法を身に付けたいものです」という前田の発話が、女性の自己対話力に対する前田の「助言」として理解可能となっているは、前田を専門家、読み手を素人として提示されているからであると考えられる。このように前田を「専門家」とすることは、「女性は自己対話力が強い」という前田の範式を正当化することにつながり、テクストを読むという相互行為のうえでは、強力なものとして流通することになると私は考える。

 そして、このデータ1-1では、前田の「仕事を楽しみ、結果を出すためには、自分の気持ちや思考を整理する方法を身に付けたいものです」という自己対話力に対する「助言」から、メイク・ファッションといった「美しくなる努力」をおこなうことが、「気持ちの切り替えになる」と「教示」されている。しかし、この記述だけでは、なぜ「美しくなる努力」が「気持ちの切り替え」となるのかがわからない。では、どのように「美しくなる努力」が「気持ちの切り替え」と結びつくように説明されているのだろうか。このデータ1-1以降の説明をみていこう。

 

3-2.女性の働きかたを語る権利 

 データ1-2

読者アンケートではONタイムのノーメイクを「OK」と判断する人が約15%も…。この結果を「ありえません!」と一喝するのが、社員9割以上を女性が占める広告会社で営業部長を務めた飯野晴子さんだ。 

 このデータ1-2の飯野の「ありえません」という発話からは、読者アンケートでONタイムのノーメイクを「OK」とした人を「注意」していることがわかる。このデータ1-2が「ノーメイクの注意」であるとわかるのは、「女性は仕事をするとき化粧をしなければならない」という規範的な常識的知識が使用されているからであると私は考える(小宮 2007:p.106)。なぜ、そのような知識が使用されていると理解可能なのだろうか。

 女性がノーメイクだったとしても、誰もがそれをいつでも「注意」できるわけではないだろう。コンビニでの買い物の最中に、女性がノーメイクだったとしても注意をすることはできないだろうし、したとしても注意された当人は意味がわからないだろう。つまり、ノーメイクを「注意」するには、「注意」をしてよい場所と人物があるということである(小宮 2007:p.105)。では、どのような場所と人物であれば、「ノーメイクを注意する」ことが可能なのだろうか。

 「社員9割以上を女性が占める広告会社で営業部長を務めた飯野晴子さんだ」という記述からは、 飯野が女性の働きかたについて語る権利があるように提示されている。西阪は、このような自分の実際の経験を際立たせることは、その出来事について語る優先権を自ら要求することであると分析している(西阪 2008:p.288)。また、会社の「部長」というカテゴリーには、「一般社員」や「主任」、「係長」、「課長」よりも、会社という組織や仕事について知識を主張する優先的資格がある、という期待が結びつくと考えられる(小宮2007:pp.117-8 )。

 つまり、ここでは、飯野の社員9割以上女性の会社で営業部長をしていたという実際の経験を際立たせることで、働く女性について語る優先権を飯野に帰属していると考えられる。また、飯野に働く女性について語る権利を帰属することは、飯野が注意する人(つまり、アンケートでノーメイクを「OK」とした人)を「働く女性」としてカテゴリー化することにもつながると私は考える。

 さらに、「部長」という役職カテゴリーが有効となる場所は「仕事中」である。このようなカテゴリーと場所の結びつきから、アンケートのONタイムという曖昧な表現が、会社での「仕事中」を指していることが推論できる。

 以上のことから、読者アンケートでONタイムでノーメイクを「OK」とした人を、「女性は仕事をするとき化粧をしなければならない」という規範的な常識的知識から、飯野が「ノーメイクの注意」をしていると理解可能なのは、次の3つの実践がなされているからであると考えられる。1つめは、飯野に「女性の仕事中のノーメイクを注意してよい地位(働く女性について語る資格のある人)にある」ことを帰属する実践である。2つめは、その帰属の実践によって、飯野に注意された人を「仕事中ノーメイクをしてはいけない地位(働く女性)」にする実践である。3つめは、仕事でもちいられるカテゴリーによって、ONタイムという曖昧な表現を「仕事中である」という意味に定式化する実践である(皆川 1998:p.91)。

 

3-3.「教えるべき知識」の産出と「非難」の理解可能性

 データ1-3

飯野「女子にとって仕事モードへのまたとないリセット法がお化粧。ノーメイクの人はメリハリなくダラッと働いているのでは?」。 柏木「メイクや服装に“きっちり感”がないと、仕事もいい加減なのかもと思われかねません」(柏木さん)

*2

  データ1-3において、冒頭、飯野はノーメイクを注意した理由を「女子にとって仕事モードへのまたとないリセット法がお化粧」だからと述べている。化粧が、仕事をするときにするべきものということだけではなく、仕事へと気持ちを切り替える方法として「格上げ」が実行されているのである。五十嵐素子によれば、Lynch&Macbethは知識教授の実践において次のような考察をおこなっている。

 

    彼らの考察を、知識教授のワークについて論じたものと見なす

 ならば、知識を教えるワークとは、相互行為上の能力に支えら 

 れながらも、「すでに知られている知識」を利用し、それを格 

 上げしながら、「教えるべき知識」を生み出していく実践だと

 いえます(五十嵐 2007:p.188)。

 

 この知見をもちいると、飯野は、「女性は仕事をするとき化粧をしなければならない」という規範的な常識的知識を利用し、それを「気持ちの切り替え法」として「格上げ」することで、「仕事のモチベーションを高めるための化粧(美しくなる努力)」という「教えるべき知識」の産出をおこなっていると考えられる。

 次の記述において、飯野と柏木は、仕事をするとき、化粧やファッションなどの「美しくなる努力」をしないことを取り上げ、「ふさわしくない行為」だと「非難」している。飯野は「ノーメイクの人はメリハリなくダラッと働いているのでは?」、柏木は「メイクや服装に“きっちり感”がないと、仕事もいい加減なのかもと思われかねません」、と述べている。

 なぜこの二人の発話が「ふさわしくない行為」への「非難」として読めるのか。そこには、データ1−1の前田の専門的な知識による範式やデータ1-3の飯野の教えるべき知識の産出が関係していると私は考える。

 データ1-1では、「女性は自己対話力が強い」という範式から、女性は仕事を楽しみ結果を出すためには、気持ちを切り替えることが必要であると言われていた。そして、データ1-3では、その気持ちの切り替え法として、「仕事のモチベーションを高めるための美しくなる努力」の知識が産出されていた。こうしたことから、「美しくなる努力をしない女性は、気持ちの切り替えができず、仕事中に自己対話をしている」という推論が可能になると考えられる。このような推論によって、飯野・柏木の発話が、美しくなる努力をしない人に対する「非難」として理解可能(読める)となるのである。       

 

 

4.まとめ

 『日経WOMAN』の「女子力」の記事において、「女子力」のひとつの能力である「切り替え力」が、「美しくなる努力」と結びついて説明され、教示がなされていた。 その説明は、専門家による女性の心的問題を提示し、それを解決する方法として、専門家の「助言」を参照し、気持ちの切り替え法としての「美しくなる努力」という「知識」を産出することでなされていた。そして、その「知識」の産出には、規範的な常識的知識やカテゴリーと結びついた期待などが、もちいられていたのである。つまり、「女子力」と「美しくなる努力」の結びつきは、このようなさまざまな言語使用実践によって理解可能となっているのである。

 また、「女子力」の教示において、メイク・ファッションに気にかけない人を常識的知識や専門的な知識をもちいて、「注意」や「非難」をし、その教示がなされていた。それは、近藤が指摘するように、「女子力」の知識が産出されることは、その知識によって「問題」とされる女性の経験を増やし、生きづらさを増すことにつながると考えられる。

 本稿で明らかにしたことは、「女子力」に関わる実践の一端であり、他にもさまざまな実践があるだろう。 その実践の探究は今後の課題とする。

 

 

 

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*1:

(注2)データを詳しくみるために、データを分割して提示する。

*2:

(注3)記事では、柏木は生活経済ジャーナリストで『デキる女には「ウラ」がある』の著者として紹介されている。