蒔田備憲『難病カルテ-患者たちのいま』

1年後、重い貧血症状をきっかけに入院した。「関節リウマチ」と判明した。「お年寄りの病気」だと思っていた。口をついて出た言葉は、「なんで私が?」。 p292

『難病カルテ』には、68人の難病者の暮らしや生き方が書かれている。難病者の暮らしや生き方は多様で、病気や症状も様々である。難病になっても、生きがいを見いだし人生を謳歌している人もいれば、難病になり仕事につけずに家にいる人もいる。

 

しかし、多くの難病者が冒頭の引用のように「なんで私が?」と発する。どうして自分が難病になるのか、と自分が難病になる理由を問いかけるのだ。この問いかけに難病当事者の大野更紗は次のように応える。

現代において「難病」の当事者となることはまるで、社会のあらゆる困難のリストが連ねられた、クジをひくようなものだ。 p444

つまり、難病当事者になるということは、困難のリストが書かれたクジをひくようなもので、誰もが難病を発症する(クジをひく)可能性はあるということである。

 

この誰もが発症するものであるからこそ、難病を発症したとしても、その困難を軽減する社会的な環境が必要であるように思われる。しかし、難病者の就労環境は極寒の真冬のように厳しい。「難病者」の多くが、それまで会社で働いていたが、難病を発病し退社、再就職をしても過労や病状の悪化、周囲の偏見で退社を余儀なくされたり、就職しようとしても難病者ということで、就職活動で門前払いをされたりしている。

難病者であったとしても、医療費や日々の生活費はかかる。障害者認定がされず制度の「谷間」で困っている人もいる。難病者も働いて賃金を稼ぐ必要があるのである。

 

『難病カルテ』を読んでいると、就労環境を整備することが難病において喫緊の問題であると感じられた。就労環境を整備することで、難病者の困難のリストは僅かでも減るのではないだろうか。グループホームで介護の仕事をしているビュルガー病(バージャー病)の副島さんの次の言葉が印象的だった。

先への不安がないわけではないが、下を向かない理由がある。「仕事を続けることで、人生を切り開ける。希望が持てるのです」。確信を持って、そう言える。p285

 

 

難病カルテ―患者たちのいま

難病カルテ―患者たちのいま